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国画創作協会 コクガソウサクキョウカイ

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デジタル大辞泉の解説

こくがそうさく‐きょうかい〔コクグワサウサクケフクワイ〕【国画創作協会】

美術団体。大正7年(1918)日本画の土田麦僊(つちだばくせん)村上華岳らが結成。同14年第二部(洋画)を新設、のち工芸・彫刻を加える。昭和3年(1928)解散。→国画会

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百科事典マイペディアの解説

国画創作協会【こくがそうさくきょうかい】

1918年村上華岳土田麦僊小野竹喬ら京都の日本画家が結成した美術団体で,毎年東京と京都で展覧会を開いた。1926年梅原竜三郎川島理一郎を加えて洋画部門を新設,第2部とし,日本画部を第1部とした。
→関連項目入江波光榊原紫峰平塚運一山脇信徳

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世界大百科事典 第2版の解説

こくがそうさくきょうかい【国画創作協会】

美術団体。1918年(大正7)1月,文展の審査を不満とする京都の若手日本画家,小野竹喬土田麦僊村上華岳野長瀬晩花榊原紫峰によって結成された。しかし新団体結成の動きは気鋭の麦僊を中心にして大正の初めころからきざしており,竹喬,麦僊の文展落選がきっかけとなり実現をみたといえる。第1回展は発足の年の11月,東京の白木屋で開かれ,感覚と主観を重んじる彼らの表現は好評をもって迎えられた。このときの入選者に入江波光がおり,翌年同人になった。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

国画創作協会
こくがそうさくきょうかい

美術団体。1916年(大正5)第11回文展の審査に対する不満を直接の動機として文展を離脱した京都の新鋭画家土田麦僊(ばくせん)、村上華岳(かがく)、小野竹喬(ちくきょう)、榊原紫峰(さかきばらしほう)に野長瀬晩花(のながせばんか)が加わり、翌17年竹内栖鳳(せいほう)、中井宗太郎を顧問に創始した日本画の在野団体。個性の尊重と近代的日本画の樹立を目ざし、同年11月第1回展を開催、国画賞受賞の入江波光(はこう)を同人に加え、以後東京と京都で展覧会を催し、大正期日本画壇に清新な刺激を与えた。
 1921~23年、同人渡欧のため展覧会は一時休止し、24年再開、26年には梅原龍三郎(りゅうざぶろう)、川島理一郎らを迎えて第二部(洋画)を、27年には富本憲吉、金子九平次(くへいじ)が入会して工芸部、彫刻部を設けたが、28年第7回展を最後に、第一部(日本画)は運営上の経済的事情を理由として解散した。なお第二部は存続、国画会と改称し現在に至っている。[佐伯英里子]

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世界大百科事典内の国画創作協会の言及

【土田麦僊】より

…以後ルノアール,ゴーギャンらの画風をとり入れると同時に,智積院の長谷川等伯など桃山障屛画の装飾性に着目し,12年から17年にかけ《島の女》《海女》や《大原女》(四曲一双),《春禽趁晴図》などを発表,清新な作風で嘱目された。しかし文展内の閉鎖的な空気にあきたらず,麦僊と同時に絵画専門学校本科に入学した村上華岳,榊原紫峰,また同窓の小野竹喬,野長瀬晩花らと17年国画創作協会を創立,官展を離脱して新日本画開拓の運動を起こした。同展(国展)に耽美的傾向の《湯女》《三人の舞妓》などを発表したが,21年から23年にかけヨーロッパに遊学,印象派,後期印象派の影響をさらにうけ,帰国後その画風の日本的消化につとめた。…

【明治・大正時代美術】より

…1916年,東京の鏑木清方,吉川霊華(きつかわれいか)(1875‐1925),結城素明,平福百穂,松岡映丘と,美術雑誌《中央美術》(1915‐36)の主宰者田口掬汀(1875‐1943)が金鈴社を結成して改革を求めた。これに続いて18年には,京都市立絵画専門学校での竹内栖鳳門下から,土田麦遷,村上華岳,榊原紫峰,小野竹喬,野長瀬晩花(のながせばんか)(1889‐1964)の5名が,栖鳳と中井宗太郎を顧問に国画創作協会を結成して独立し,後期印象派への関心のうちに,清新な作品を生み出すことになる。文展を離れて闘うことになったこの青年画家たちが,京都画壇に与えた刺激は小さなものではなく,彼らの出現によって栖鳳以降にきざしていた京都画壇の近代化への脱皮をうながすことになった。…

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