金岡新田(読み)かなおかしんでん

日本歴史地名大系 「金岡新田」の解説

金岡新田
かなおかしんでん

[現在地名]徳島市川内町かわうちちよう 金岡

鈴江すずえ村の南西に位置し、西は別宮べつく(上別宮)。南を吉野川(別宮川)が東流、村域東端を榎瀬江湖えのきぜえご川が北流し、吉野川(別宮川)に合流する。天保二年(一八三一)名東みようどう早淵はやぶち村の後藤喜右衛門が開発したという(川内村史)。弘化二年(一八四五)勧農積方が榎瀬えのきぜ村ほか三村の村役人に宛てた文書(同書)によると、新田開発以前は塩浜(塩田)であった。旧高旧領取調帳に金岡新田とみえ、蔵入地一九石余。


金岡新田
かなおかしんでん

[現在地名]東大阪市金岡一―四丁目・友井ともい三丁目・源氏げんじおかなど

大和川の付替えによって水量の減った長瀬ながせ川の川床に開発された。渋川郡に属し、北は同川床に開発された吉松よしまつ新田、東は若江郡友井村など。中央を長瀬川が流れる。宝永二年(一七〇五)大坂の末長甚兵衛や近在の百姓らが開発(規矩家文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の金岡新田の言及

【児島湾】より

…早くは1580年代に岡山城主宇喜多秀家が備中の倉敷から早島にかけていわゆる〈宇喜多堤〉を築いて,児島湾干拓の口火を切った。岡山藩治下での干拓は,北岸から南下する形で初めは民営で行われ,土豪開発の米倉新田(30町)や町人請負の金岡新田(232町)が注目される。17世紀後半になると,藩主池田光政は津田永忠を起用して藩営新田の造成に主力を注いだ。…

※「金岡新田」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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