日本歴史地名大系 「金武間切」の解説 金武間切ちんまぎり 沖縄県:沖縄島北部金武町金武間切現在の金武町・宜野座(ぎのざ)村一帯にあった間切。北東は久志(くし)間切、北は名護(なぐ)間切、北西は恩納(うんな)間切、南西は美里(んざとう)間切に接し、南から東は太平洋に臨む。首里から金武間切番所のある金武(ちん)村までの距離九里五町余(里積記)。金武県・金武郡とも記す(「球陽」「琉球国由来記」など)。「おもろさうし」巻一七の一に「一 おもろ こたらつか(おもろを謡う小太郎ツが)/ひやくさ おみしやく(百歳までの効力のあるおみ酌を)/さしよわは やくめさ(差したまうと、恐れ多いことよ)/ようもいきのかす(世神酒の数)/又 きんのよのぬしに(金武の世の主に)/ひやくさ みしやく(百歳の御酌)」、現那覇市の玉陵(たまうどうん)にある弘治一四年(一五〇一)九月大吉日の年紀をもつ玉御殿碑文に「きんのあんしまさふろかね」とみえ、金武の世の主・金武按司の存在から金武間切の領地があったことがわかる。万暦一二年(一五八四)五月一二日の恩納ノロ職叙任辞令書(琉球宗教史の研究)、永暦一二年(一六五八)のノロの辞令書(宜野座村誌)に金武間切が登場する。正保国絵図では「金武間切(きむまきり)」の高一千九五三石余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報