金武町(読み)きんちよう

日本歴史地名大系 「金武町」の解説

金武町
きんちよう

面積:三七・七六平方キロ(境界未定)

沖縄島の中央部に位置する国頭郡の町。南は太平洋に臨む。東は宜野座ぎのざ村、北は恩納おんな村、西は石川市に接し、恩納村との境に恩納おんな(三六二・八メートル)がそびえる。集落は石灰岩丘陵台地と兼久かにく(砂丘の意)に立地する。那覇空港から沖縄自動車道を走り、金武きんインターチェンジまで六〇分で達する。当町の南に広がる金武きん湾は「ペリー艦隊日本遠征記」にBARROW BAY(バロー湾)みえ金武湾東端に延びる金武きん岬は正保国絵図に「きん崎」と記されている。「おもろさうし」巻一七の一に「きんのよのぬし」(金武の世の主)の名がみえ、彼が支配していた領域が金武ちん間切となったと推測される。当初金武間切は名護市・恩納村の一部をも含んでいたが、一六七三年にほぼ現在の金武町と宜野座村の範囲に固定された。以降、当町域は金武間切のうちとして推移する。明治一二年(一八七九)沖縄県の管轄下となり、一八九六年国頭郡に所属。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「金武町」の意味・わかりやすい解説

金武〔町〕
きん

沖縄県沖縄島中部東海岸にある町。1980年町制。町名は近世以来の間切(まぎり。行政区画)名による。うるま市に接し,大部分が石灰岩台地西部恩納岳おんなだけ。363m)がある。太平洋岸の幹線道路に沿って屋嘉,伊芸,金武などの集落が立地する。山地の大半はアメリカ軍の演習地。町域の半分以上は広大なアメリカ軍基地キャンプ・ハンセンで,サービス業従事者や軍の雇用者も多い。農業はサトウキビ,パイナップル,チャ(茶),野菜などが生産される。金武地区にある観音寺は 400年前に日本本土から漂着した日秀上人開山の寺。境内石灰洞鍾乳洞)は,第2次世界大戦時には防空壕となり多くの人命を救った。沖縄自動車道と国道329号線が通る。面積 37.84km2。人口 1万806(2020)。

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