金王盛俊(読み)かなおう・もりとし

朝日日本歴史人物事典 「金王盛俊」の解説

金王盛俊

生年生没年不詳
鎌倉末・南北朝期の悪党張本。伊賀国の東大寺黒田荘(三重県名張市)の大屋戸村に在住した大江氏一族のひとり。年貢を年々無沙汰,譴責使の田地点札を無視,作毛を刈り取るなどした。嘉暦3(1328)年寺家は盛俊の住宅を焼き,名田を没収するために使者を派遣。盛俊はその使者を荘の出入口である黒田坂で殺し,道を切りふさいで,村民とともに神水起請をし,東大寺使の入り来たるのを拒否した。建武1(1334)年地域の寺院黄滝山寺が東大寺との本末関係を離脱しようとする運動に与力,東大寺の荘園支配を大きく弱めた。また禁裏供御人でもあった関係で,後醍醐天皇に通じ,南朝軍事力としても活動。<参考文献>小泉宜石『悪党』

(新井孝重)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「金王盛俊」の解説

金王盛俊 かなおう-もりとし

?-? 鎌倉-南北朝時代の悪党。
東大寺領伊賀(三重県)黒田荘の下司(げし)職をついだ大江氏の一族。悪党として活動した覚舜(かくしゅん)の甥(おい)で,覚舜らが鎮圧されるとかわって悪党の中心となる。禁裏供御(くご)人となって後醍醐(ごだいご)天皇にむすびつき,幕府や荘園領主の支配に対抗した。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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