朝日日本歴史人物事典 「金誠一」の解説
金誠一
生年:中宗33.12.6(1538.12.26)
朝鮮王朝中期の官人。日本語読みは「きん・せいいつ」。字は士純,号は鶴峯。宣祖1(1568)年科挙に合格。官界では東人派に属した。天正18(1590)年,通信副使として来日。朝鮮国王宣祖への復命に際して,西人派の正使黄允吉とは反対に,日本に朝鮮侵略の可能性なしと報告し,右議政柳成竜もこれを支持した。壬辰倭乱(文禄の役)が起きると慶尚右道(西部)招撫使,同観察使に任じられたが,任地で活動中病死。
(鶴田啓)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報