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金誠一 きん せいいつ

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

金誠一 きん-せいいつ

1538-1593 朝鮮王朝の官僚。
中宗33年12月6日生まれ。通信副使として天正(てんしょう)18年来日。正使黄允吉(こう-いんきつ)とともに豊臣秀吉と会見。帰国報告で秀吉来攻の可能性を否定し,のち誤判断をとがめられたが,ゆるされて義兵募集にあたった。宣祖26年4月29日死去。56歳。字(あざな)は士純。号は鶴峯。

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朝日日本歴史人物事典の解説

金誠一

没年:宣祖26.4.29(1593.5.29)
生年:中宗33.12.6(1538.12.26)
朝鮮王朝中期の官人。日本語読みは「きん・せいいつ」。字は士純,号は鶴峯。宣祖1(1568)年科挙に合格。官界では東人派に属した。天正18(1590)年,通信副使として来日。朝鮮国王宣祖への復命に際して,西人派の正使黄允吉とは反対に,日本に朝鮮侵略の可能性なしと報告し,右議政柳成竜もこれを支持した。壬辰倭乱(文禄の役)が起きると慶尚右道(西部)招撫使,同観察使に任じられたが,任地で活動中病死。

(鶴田啓)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について | 情報

世界大百科事典内の金誠一の言及

【柳成竜】より

…壬辰倭乱(文禄の役)の際,左議,領議政,兵曹判書,都体察使をつとめる。1591年,豊臣秀吉の侵略の危険を察し,金誠一の対日派遣,李舜臣の登用などを行い,防衛体制の整備につとめた。しかし国内の動揺をさけるため,金誠一とともに〈日本の侵略はない〉と主張したので,戦争が起こると一時失脚させられたが,やがて復職し,内政・外交(対明関係)に努力し,日本軍の撃退に功績をあげた。…

※「金誠一」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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