ストラスブール大学(読み)ストラスブールだいがく(その他表記)Université de Strasbourg

改訂新版 世界大百科事典 「ストラスブール大学」の意味・わかりやすい解説

ストラスブール大学 (ストラスブールだいがく)
Université de Strasbourg

フランスストラスブール大学区の3大学の総称。ストラスブールに〈大学〉の原形ができたのはようやく1538年で,現在のフランスの大学のなかではかなりその創設は遅い。

 1538年,人文主義者J.シュトルム主導で,従来町にあった三つの中等学校が合併して高等教育機関ギムナジウムとなり,66年,学院(アカデミー)に昇格学位授与権をもつ哲学部と神学部が設置された。神学部はのちルター主義の拠点となる。1621年,アカデミーは〈大学〉に昇格し,法学部医学部が併設された。ストラスブールのフランス王国への併合(1681)に伴い,ルイ14世は,他のフランスの大学と同様の特権を承認した。18世紀のフランス全般にわたる大学の硬着化と沈滞のなかで,この大学の自由な学問的雰囲気と法学部を中心とする隆盛は特筆すべきであろう。フランス革命による旧大学の閉鎖(1793)後,ナポレオンの〈帝国大学令〉(1808)による大学制度の再編成をへて,ストラスブール大学区(アカデミー)も他のフランスの大学区と同様の転変をたどる。第三共和政時代に神学部(カトリック神学部とプロテスタント神学部)が設置されていたのは,この大学だけである。フォール改革(1966)以降,現在のストラスブール大学区には,医学・自然科学系の第一大学,文学・哲学系の第二大学,法学・社会科学系の第三大学があり,1996年現在において,約4万5000名の学生が在学している。
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大学事典 「ストラスブール大学」の解説

ストラスブール大学[フランス]
ストラスブールだいがく

フランス北東部,アルザス地域圏のバ=ラン県ストラスブール市にある。1538年に成立したギムナジウムが起源とされ,66年にアカデミーに昇格,学位授与権をもつ哲学部と神学部が設置された。1621年に大学に昇格,法学部・医学部が併設された。ストラスブール市は欧州評議会(加盟国47ヵ国)および欧州人権裁判所,欧州議会の所在地として名高く,国際色豊かな大学として知られる。全学生数の約20%が留学生である。現在フランスで活発となっている大学再統合・総合大学化の動きに先駆け,1970年以降,自然科学部門(ルイ・パスツール大学)・人文科学部門(マルク・ブロック大学)・社会科学部門(ロベール・シューマン大学)に3分割されていたものが,2009年に研究・高等教育拠点(PRES)として再統合され,現在のストラスブール大学となる。フランス有数の大学で,フランス全70大学中トップ10,タイムズ誌の世界大学ランキングでも150位前後(再統合前)を占める。詩人ゲーテや医学者シュヴァイツァーなどが学び,卒業生からノーベル賞受賞者17名を輩出している。学生数4万8011(2015/16年)
著者: 高橋洋行

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ストラスブール大学」の意味・わかりやすい解説

ストラスブール大学
ストラスブールだいがく
Université de Strasbourg

フランスのストラスブールにある共学制の大学。前身は 1538年創立のギムナジウム。1566年アカデミーに,1621年に大学となる。ストラスブールは 1871年の普仏戦争終結以後,第1次世界大戦の終わりまでドイツに属し,1872~1918年ウィルヘルム皇帝大学となっていた。1919年にフランスの大学として再編された。1968年の高等教育改革法に基づき,1971年に医学・自然科学系の I(ルイ・パスツール大学),文学・人文科学系の II(ストラスブール人文科学大学),法学・社会科学系の III(ロベルト・シューマン大学)の三つに分割された。2009年,3大学はストラスブール大学として統合された。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ストラスブール大学」の意味・わかりやすい解説

ストラスブール大学
すとらすぶーるだいがく
Université de Strasbourg

フランスのストラスブールにある大学。起源は1566年に創設されたアカデミーにまでさかのぼるが、大学の特権を得たのは1621年。フランス革命(1789)により一時閉学となる。プロイセン・フランス戦争(1870~1871)の結果この地方がドイツ領となったため、1872年から1918年までウィルヘルム皇帝大学と称されていた。また第二次世界大戦時(1939~1945)にはフランス南部のクレルモン・フェランに疎開していた。戦後は順調な発展を遂げ、7学部(カトリック神学、プロテスタント神学、政治経済学、医学、理学、人文学、薬学)を擁するフランス東部の代表的な大学となる。1968年の高等教育改革により、第一大学(ルイ・パスツール大学)、第二大学(人文大学)、第三大学(ロベルト・シューマン大学)に3分割されたが、2009年に再統合した。教員数は2759人、学生数は4万6627人である(2014~2015年度)。

[馬越 徹]

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