改訂新版 世界大百科事典 「シェールシャー」の意味・わかりやすい解説
シェール・シャー
Shēr Shāh
生没年:1472-1545
北インドのスール朝(1538-55)の創始者。在位1538-45年。もとの名はファリード・ハーンFarīd Khān。ビハールにいたアフガン系の小領主の子に生まれる。青年のころトラを倒したことから,シェール・ハーン(シェールは〈トラ〉の意)と呼ばれた。のちムガル帝国の始祖バーブルのもとに仕える。第2代皇帝フマーユーンの時代になると,ビハール一帯に勢力を拡大し,1538年にはビハール,ベンガル全域を支配,事実上,独立王国(スール朝)を建て,シェール・シャーと名のった。翌年チャウサで,40年にはカナウジ近くでフマーユーンのムガル軍を破りデリーを占領した。パンジャーブ,シンドをはじめ北インド一帯を支配下におさめたが,45年,カーリンジャル(ブンデールカンド地方)包囲戦の際のけががもとで死去した。彼は統治者としても優れており,徴税のために帝国をいくつかの行政区画サルカル,さらに細区分してパルガナ(郡)に分け,効率的な徴税制度をつくりあげた。また通貨制度を確立し,商業・交通制度を改善,警察制度を再組織するなど,内政改革に着手した。さらに,軍制度の中央集権化につとめ,帝国中央での直接募兵制度,現金による給与支払いの導入などを行った。彼の諸改革はあまりに短い統治期間中に完全には実現されなかったが,のちのムガル帝国の制度のさきがけとなった。
執筆者:小名 康之
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報