金谷迫村
かなやざこむら
[現在地名]大分市金谷迫
生石村から祓川に沿って南に登った山間の村。正保郷帳では上・下に分けて記され、田高・畑高は上金谷迫村一五石余・三二石余、下金谷迫村七八石余・一〇石余、賀来庄に所属。上は山間部で、下は比較的平坦な南東部の丘陵地。元禄一〇年(一六九七)の府内領郷帳(府内藩記録)では金谷迫村で高付され高一五六石余。領主の変遷は駄原村に同じで、中郷来鉢組。当村に属する机張原(吉兆原)から竹上村庄の原の原野は、天保一五年―安政年間(一八四四―六〇)にかけて府内藩に招かれて藩政改革に当たった広瀬久兵衛により開墾が進められ、安政元年からは農民移住も行われた(「府内藩日記」など)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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