金頸城跡(読み)きんけいじようあと

日本歴史地名大系 「金頸城跡」の解説

金頸城跡
きんけいじようあと

[現在地名]能登島町向田

向田こうだ城ともいう。向田の入江北東岸の岬、通称じようはな(標高約二五―四〇メートル)に所在し、七尾北湾一帯を視野に収める。三方を海に臨んだ崖に面し、南側の尾根筋を空堀で画して、大小六面の平坦面(郭)と、これに付属する腰曲輪から構成される梯郭式縄張りで、自然地形を最大限に利用して構築している。城域の総面積は約一・二ヘクタールで、最も大きな郭は約六一〇平方メートルを占める。なお痩尾根で連なる約八〇メートル前方(北側)にも三つの小郭があり、当城の出丸的性格の遺構と考えられる。

文和二年(一三五三)八月、南朝方の桃井兵庫助・長胤連らを討伐するため、能登守護吉見氏頼の嫡男修理亮詮頼を大将とする軍勢が七尾湾を渡り、同月二九日胤連の館に押寄せて館を焼払ったため胤連勢は金頸城に立籠り、吉見軍は「一口駒崎」に陣を取った(同年九月日「得田素章代斎藤章房軍忠状写」得田文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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