日本歴史地名大系 「釜渕村」の解説 釜渕村かまぶちむら 新潟県:東頸城郡浦川原村釜渕村[現在地名]浦川原村釜渕保倉(ほくら)川右岸の氾濫原と東頸城丘陵の接点山麓にある。西は有島(ありしま)村支集落の浦川原、東は虫川(むしがわ)村の支集落。保倉川を通称虫川の渡で渡ると南は虫川村本村に至る。後背地の丘陵を隔てて北は大栃山(おおどちやま)村。保倉川はこの辺りで小黒(おぐろ)川を併呑して水量を増す。文禄(一五九二―九六)頃の頸城郡絵図では「藤田分川田喜三郎分釜渕村 中」とあり、本納二七石五斗・縄高五一石四升四合、家二軒・七人。保倉川右岸の道が通り、この道に沿い上流に顕聖寺(けんしようじ)村が描かれ、現在の位置と合わない。正保国絵図に村名がみえ、延宝七年(一六七九)越州四郡高帳では高七五石二斗余。天和三年郷帳では高八三石六斗余、うち山高五斗一升七合・漆高五石六斗六升のほか、同所新田高二〇石七斗余が記される。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by