顕聖寺(読み)けんしようじ

日本歴史地名大系 「顕聖寺」の解説

顕聖寺
けんしようじ

[現在地名]浦川原村顕聖寺

顕聖寺集落の背後の丘陵上字境内けいだいにある。保寧山といい曹洞宗本尊釈迦如来縁起によれば、応仁元年(一四六七)の開創で、開基坊金ぼうがね(現安塚町)城主石田大膳少弼、開山は快庵妙慶と伝える。石田大膳については傍証する史料がない。快庵妙慶は「曹洞宗大系譜」「日本洞上聯燈録」などで、その存在や法系を確認でき、下野国大中だいちゆう(現栃木県下都賀郡大平町)の開山一世でもある。「顕聖寺記」によると快庵妙慶は顕聖寺・大中寺を行き来して、教線の拡大に努めたが、「汝等宜界碓氷嶺吾死両寺本末」と上信国境碓氷うすい峠を境とし、自分がどちらにあるときに死んだかによって、両寺の本末を定めよと法弟に語っていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報