針尾城跡(読み)はりおじようあと

日本歴史地名大系 「針尾城跡」の解説

針尾城跡
はりおじようあと

[現在地名]佐世保市針尾中町

うら瀬戸に臨むじよう(二六・七メートル)に築かれた中世の城跡。小鯛こだい城ともいう。針尾氏は鎌倉期にみえ、南北朝期には彼杵一揆に参加しているが、戦国期には大村純忠家臣として針尾伊賀守がおり、潮の流れがきわめて激しく狂奔する海峡(針尾瀬戸)のそばに城を構えていたという(フロイス「日本史」)。針尾伊賀守は朝永新助とともに横瀬よこせ(現西海町)奉行をしていたが、永禄六年(一五六三)肥前武雄たけおの後藤貴明と結んで同浦を襲撃している(同書など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む