朝日日本歴史人物事典 「鈍通与惣兵衛」の解説
鈍通与惣兵衛
生年:生年不詳
江戸中期の歌舞伎狂言作者。甲府に生まれ,2代目津打治兵衛の門人となり,宝暦6(1756)年,津打伝十郎を名乗る。号一何斎,太鼓堂泥築,鈍通舎。同12年11月3代目津打治兵衛を襲名。俳名英子。本所亀井戸瑞亀山良按和尚に禅学を学び,白隠和尚から鈍通居士号を受けたという。明和2(1765)年に鈍通与惣兵衛(与三兵衛)と改称。同6年を最後に劇界を退いた。「八百屋お七恋江戸染」など評判の作品は多いが,「帯曳小蝶昏」をはじめ豊後浄瑠璃,長唄などの作詞に長じた。めりやす「萩の風」を書いて作詞の名手と呼ばれた。他に『心の鬼』『鈍通禅学咄』の著がある。没年を明和8年とする説もある。
(安田文吉)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報