鈴張村
すずはりむら
[現在地名]安佐北区安佐町鈴張
高宮郡北端の村で、村の北、山県郡本地村(現千代田町)との境にそびえる海見山(八七〇メートル)と、東の綾谷村境にある堂床山(八五九・六メートル)との間に東谷、海見山と村内西の鷹野巣(四八七メートル)との間に西谷があって、両谷は南行して郷で合し、鈴張川となって飯室村に入る。可部町から西行する庄原街道は、飯室村境の清水峠から当村へ入り、篠ヶ峠で山県郡今吉田村(現豊平町)へ出る。本地村への道は東谷を上り明神峠を越えるが、これは可部峠越の石見浜田路の迂回路であった。このほか柳渡りより山県郡阿坂村(現豊平町)へ至る道もあった。明神峠近くの東谷上流域は関屋村であった。村名の由来について「郡中国郡志」は不詳としながらも、「往古鈴ヲ能ク張候鍛冶有之名物ニ相成、夫ヨリ鈴張ノ得名候」としている。
中世の支配関係は不明であるが、北の壬生庄(現山県郡千代田町)が厳島神社領、南の飯室村が国衙領で、厳島神社と安芸国衙は深く結び付いており、両者のいずれかの影響下にあったと考えられる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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