鈴木敏夫(読み)すずきとしお

知恵蔵mini 「鈴木敏夫」の解説

鈴木敏夫

日本の映画プロデューサー。1948年、愛知県名古屋市生まれ。72年に慶應義塾大学文学部を卒業後、出版社・株式会社徳間書店入社。週刊誌「アサヒ芸能」の記者を経て、月刊アニメ雑誌「アニメージュ」の創刊に携わり同誌の編集長となった。アニメーター宮崎駿と知り合い、同誌上で「風の谷のナウシカ」を連載。84年に同作品が映画化され公開となったが、その折は実質的にプロデュースを手がけた。以降、雑誌編集者と映画制作をかけもちする生活が続き、85年には徳間書店の出資による株式会社スタジオジブリの設立に参画。89年からは同社専従となり、90年、徳間書店を退社してスタジオジブリの代表取締役となった。同社の全作品の映画プロデューサーを務めてきており、映画「もののけ姫」「千と千尋の神隠し」などのメガヒットを成し遂げて「ジブリの立役者」と称されている。2014年7月公開の「思い出のマーニー」ではゼネラルマネージャーを務めた。著書に『映画道楽』(ぴあ)、『ジブリの哲学』(岩波書店)などがある。

(2015-2-10)

出典 朝日新聞出版知恵蔵miniについて 情報

20世紀日本人名事典 「鈴木敏夫」の解説

鈴木 敏夫
スズキ トシオ

昭和期の出版事業家 大修館書店会長。



生年
大正15(1926)年1月1日

没年
昭和62(1987)年4月17日

出生地
東京

学歴〔年〕
東京慈恵会医科大学〔昭和24年〕卒

経歴
大修館書店に入社、昭和27年取締役、42年専務、45年副社長、47年社長を歴任して、61年12月会長となる。社長時代には「大漢和辞典」修訂版13巻を手がけた。


鈴木 敏夫
スズキ トシオ

昭和期の出版人 元・平凡社・ほるぷ顧問;元・日本出版学会理事。



生年
大正4(1915)年6月2日

没年
昭和55(1980)年2月25日

学歴〔年〕
横浜高商(旧制)卒

経歴
朝日新聞図書編集部員、週刊読売編集部長などを歴任。著書に「江戸本屋」(上・下)などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

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