平凡社(読み)へいぼんしゃ

改訂新版 世界大百科事典 「平凡社」の意味・わかりやすい解説

平凡社[株] (へいぼんしゃ)

1914年創業の出版社。下中芳岳(弥三郎)編著《ポケット顧問 や,此は便利だ》を刊行して以来,戦前・戦後を通して〈百科事典の平凡社〉と呼ばれてきた。23年株式会社となり下中弥三郎が代表取締役に就任,《尾崎行雄全集》《大西郷全集》で基礎を固め,円本ブームにのって27年《現代大衆文学全集》を打ち出し,つづいて《世界美術全集》《社会思想全集》ほか二十数種の全集を刊行,28年創刊雑誌《平凡》では失敗したが《大百科事典》全28巻(1931-35)で苦境を乗り切り,34-36年《大辞典》全26巻を刊行した。第2次大戦後は《社会科事典》《世界美術全集》《児童百科事典》《世界歴史事典》など教育基本図書に主力を注ぎ,59年には編集長林達夫もとに《世界大百科事典》を完成,61-62年《国民百科事典》を刊行して,百科事典頂点とする学問,芸術,思想などの諸分野に及ぶ幅広い出版体制を確立した。63年にグラフィック・マガジン《太陽》を創刊して新時代の要求にこたえ,またアジアの古典叢書東洋文庫》を発刊した。その後,硬派の教養書出版が困難になる状況のもとで,79年《日本歴史地名大系》全50巻の刊行を開始(2004年本巻48巻完結。05年総索引2巻完結)。1984-85年には新たな構想による《大百科事典》(編集長加藤周一)を,さらにこれをもとに88年《世界大百科事典》を完成した。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「平凡社」の意味・わかりやすい解説

平凡社(株)
へいぼんしゃ

1914年(大正3)下中弥三郎(しもなかやさぶろう)が創立した出版社。新語辞典『ポケット顧問 や、此(これ)は便利だ』をはじめ辞典、学習書などを出版していたが、円本ブームにのって出した『現代大衆文学全集』『世界美術全集』が成功し、続いて『新興文学全集』など二十数種の円本全集を刊行した。31年(昭和6)平凡社は財政的に破綻(はたん)するが、『大百科事典』の成功によって立ち直り、その後の事典出版社としての基盤を固める。第二次世界大戦後は教育図書にも力を入れ、59年(昭和34)には『世界大百科事典』が完成した。61年発行の『国民百科事典』はベストセラーとなり、百科事典ブームの端緒となった。63年には家庭グラフィック誌『太陽』『別冊太陽』を創刊。『日本歴史地名大系』や新構想の『大百科事典』のほかに、「東洋文庫」叢書(そうしょ)など、歴史、芸術、思想にわたる幅広い出版活動を行っている。

[大久保久雄]

『平凡社編・刊『平凡社六十年史』(1974)』『下中弥三郎伝刊行会編『下中弥三郎事典』(1965・平凡社)』

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百科事典マイペディア 「平凡社」の意味・わかりやすい解説

平凡社[株]【へいぼんしゃ】

1914年下中弥三郎が創立した出版社。昭和初期の《現代大衆文学全集》全60巻などを経て,1931年〜1935年《大百科事典》全28巻を刊行,事典出版社として名を高めた。第2次大戦後林達夫編集長による《世界大百科事典》,《国民百科事典》,加藤周一編集長による新《世界大百科事典》,1963年から月刊誌《太陽》,叢書〈東洋文庫〉,1993年からペーパーバック・シリーズ〈平凡社ライブラリー〉を,1999年から〈平凡社新書〉を刊行。1996年日立製作所との合弁会社〈日立デジタル平凡社〉を設立し,百科事典のデジタル化を行う(デジタル百科事業は,2000年より日立システムアンドサービス(現日立ソリューションズ)が継続)。
→関連項目谷川健一

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「平凡社」の意味・わかりやすい解説

平凡社
へいぼんしゃ

1914年下中弥三郎によって創立された出版社。小型百科事典『や,此は便利だ』の発行を手始めに,「現代大衆文学全集」の成功で業界に進出した。1931年『大百科事典』全 28巻を刊行。戦後も,『世界大百科事典』全 32巻(1955),同全 35巻(1988),同全 34巻(2007)を刊行。ほかに事典類や 1963年に創刊した雑誌『太陽』(2000年12月号で休刊)などで知られる。

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世界大百科事典(旧版)内の平凡社の言及

【下中弥三郎】より

平凡社の創業者。教育運動,労働運動,農民運動の指導者でもあった。…

【百科事典】より

…この百科事典は,明治時代の日本文化を集約したものとして,また高い見識と良心的な編集で高く評価され,日本の百科事典の歴史を画した。三省堂に次いで冨山房も《日本家庭百科事彙》2巻(1906)を出版したが,ようやく基盤が形成された市民社会を背景に,新しい百科事典の出版を計画したのが平凡社であった。独学で学んだ社主下中弥三郎は,万人の自学の手段として完備した百科事典を構想し,31年に刊行を開始した《大百科事典》全28巻(1935完結)は,初めて〈辞典〉ではなく〈事典〉という言葉を用い,日本の百科事典としての視点も明確にした編集で,第2次大戦前の日本文化の到達点を示すものであった。…

※「平凡社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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