日本歴史地名大系 「鈴江村」の解説
鈴江村
すずえむら
慶長二年(一五九七)の分限帳に鈴江とみえ、六七石余が益田内膳丞の知行分。同九年の検地帳写(斎藤家文書)によれば畠・居屋敷一二町七反余、高七〇石余。その後元和四年(一六一八)に一一石余、寛永一四年(一六三七)に六石余が新開高として組入れられた(「新開検地帳」同文書)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
慶長二年(一五九七)の分限帳に鈴江とみえ、六七石余が益田内膳丞の知行分。同九年の検地帳写(斎藤家文書)によれば畠・居屋敷一二町七反余、高七〇石余。その後元和四年(一六一八)に一一石余、寛永一四年(一六三七)に六石余が新開高として組入れられた(「新開検地帳」同文書)。
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