銅鐸の鋳型(読み)どうたくのいがた

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「銅鐸の鋳型」の意味・わかりやすい解説

銅鐸の鋳型
どうたくのいがた

1960年に兵庫県の名古山遺跡で最初の石製鋳型片が見つかるまでは,銅鐸の国産を疑問視する銅鐸舶載品説,土製のため残らないとする鋳型消失説も出されていた。名古山鋳型の発見以後,30個体以上の出土が知られている。銅鐸鋳型は2つの合口外型と内型より成り,遺跡から出土するのは外型のみで,大半は破片となっている。日本最古の例は京都府鶏冠井遺跡の石製鋳型片で,弥生前期末ころのものと推定されている。古い時期の銅鐸鋳型はすべて石製であり,銅鐸の巨大化に伴って粘土製鋳型に移行したと見られる。兵庫県赤穂市発見の石製鋳型片は,全高 80cmほどの銅鐸を鋳造したものと推定され,石製鋳型で鋳造可能な限界値を示している。土製鋳型は奈良県唐古遺跡で無文の土製外枠が数個体出土しており,文様がないため外枠内部に精製粘土を張り付けて文様を刻み使用したと考えられる。 80年代には,佐賀県安永田,福岡県赤穂ノ浦遺跡などで相次いで石製鋳型片が発見され,従来銅鐸が分布しないとされていた九州でも銅鐸を鋳造していたことが判明し,銅鐸分布圏の範囲に再検討を迫っている。

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