日本の建築家、デザイナー、評論家、都市計画家で構成され、前衛的な建築と都市デザインを行ったグループ。またその活動をもいう。1960年(昭和35)に『METABOLISM 1960』を出版、運動のマニフェスト(宣言書)とした。その後、グループとして活動を行うよりも、メンバーの建築家を中心に、それぞれの作品と計画において「メタボリズム」概念を展開していった。
メンバーは都市計画家の浅田孝(1921―1990)、評論家の川添登、建築家の菊竹清訓(きくたけきよのり)、黒川紀章(きしょう)、大高正人、槇文彦(まきふみひこ)、インダストリアル・デザイナーの栄久庵(えくあん)憲司(1929―2015)、グラフィック・デザイナーの粟津潔(1929―2009)。
1960年の世界デザイン会議東京開催の準備をしていた浅田が若い建築家を召集し、川添のリードで会議発表に向け宣言『METABOLISM 1960』をまとめた。同書は「都市への提案」を副題とし、「海上都市」「塔状都市」(菊竹)、「新東京計画」「垂直壁都市」「農村計画」(黒川)、「新宿ターミナル再開発計画」(大高・槇)などを収めた。
メタボリズムは生物学用語の新陳代謝のことで、グループ名はそれの建築と都市理論への適用を意図していた。すなわち、建築や都市は永劫(えいごう)不変な構造ではなく、社会の要請や機能の変更によって変化し、交換可能であるととらえ、ユニット化した居住単位や「群」として増殖する建築や、建築の複製、量産を理論化した。この理論は1964年にイギリスの建築家集団アーキグラムが発表した「プラグ・イン・シティ」にも共通しており、交換不可能なインフラストラクチャーに対して、交換可能な居住ユニットやカプセルなどの居住空間や設備系統はプラグ・インされ入れ替えられるというアイデアを、例えば菊竹の自邸スカイハウス(1958)のムーブネット(設備ユニット)や黒川の中銀カプセルタワー(1972、東京)において実現したのである。
同世代の建築グループ、チームⅩ(テン)などから思想的な影響を受けた未来主義的なラディカリズムは、1960年代の高度成長期の日本の都市と産業に受け入れられた。同時にメタボリズム理論はメンバーの実際の建築に適用されるだけでなく、ユニットバスなど建築部品の産業化のきっかけをつくった。
グループとしての活動は、菊竹、槇、黒川によるペルー低所得層低層集合住宅計画(1969)で終わるが、その方法論は川添を中心として日本万国博覧会(1970、大阪)、沖縄海洋博覧会(1975)、つくば科学博覧会(1985)などの博覧会の建築計画やコンセプトに引き継がれていった。
[鈴木 明]
『川添登編、菊竹清訓・川添登・大高正人・槇文彦・黒川紀章著『METABOLISM 1960』(1960・美術出版社)』▽『八束はじめ・吉松秀樹著『メタボリズム 一九六○年代――日本の建築アヴァンギャルド』(1997・INAX出版)』
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