日本歴史地名大系 「鎌倉堤」の解説 鎌倉堤かまくらづつみ 山形県:新庄市萩野村鎌倉堤指首野(さすの)川上流小以良(こいら)川源流部にあった用水池。享保三年(一七一八)江戸の町人鎌倉屋長右衛門は新庄藩に願出て、城下と萩野(はぎの)村の間の中山(なかやま)野の開発を企て、その水源として鎌倉堤を築こうとした。しかし小以良川の水に頼っていた泉田(いずみた)村では、この堤により水不足となることを恐れ、村の浮沈にかかわるとして強硬に反対した(「萩野村小いら川堤ニ付申上候覚」旧泉田村庄屋文書)。泉田村の言い分は、当村は藩祖政盛公によりたてられた村で、水源として吉沢(よしざわ)村に二堤を築き専用することとされた。また萩野村の余水の専用も許されている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by