日本歴史地名大系 「萩野村」の解説
萩野村
はぎのむら
中世以来の開発領主に萩野氏がおり、その子孫が伝えた文治二年(一一八六)二月二二日付の萩野解祐太夫宛の安堵状(萩野文書)に「可早領
知名主職
事、右当名者依
為
無
相違
令
安堵
者也」とあるが、発給者名も、「右当名」とある肝心の名も欠ける。萩野氏系図(「香北町史」所収)は、萩野氏の祖先織部は永正年間(一五〇四―二一)京都より下向来住したとも記す。
萩野村
はぎのむら
- 山形県:新庄市
- 萩野村
現新庄市の北東部。奥羽山脈から流れ出る北から
元和八年(一六二二)の御前帳写では高一千一八八石余。寛文四年(一六六四)も同高で、ほかに泉田村分の五四一石余が記される(新田本村鑑)。
萩野村
はいのむら
萩野村
はぎのむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報