鎌立村(読み)かまたちむら

日本歴史地名大系 「鎌立村」の解説

鎌立村
かまたちむら

赤麻あかま沼の南西にあり、南東西高沙にしたかさご村、北西篠山しのやま村。元禄郷帳に野渡のわた(現野木町)枝郷として村名がみえる。下総古河藩領。地内にある宝永二年(一七〇五)の西国坂東三十三供養碑に「下野国都賀郡小山庄内野村」と刻まれ、高沙・西高沙・篠山赤渋あかしぶ横堤よこづつみと当村は計六ヵ村を内野うちの村と総称されていた。六ヵ村とも慶安(一六四八―五二)以降、元禄(一六八八―一七〇四)頃までに開発されたと推定され、当初内野新田ともよばれた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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