群馬県南部の市。2006年1月旧藤岡市が鬼石(おにし)町を編入して成立した。人口6万7975(2010)。
藤岡市南部の旧町。旧多野郡所属。人口6808(2005)。南は埼玉県と接し,神流(かんな)川と支流の三波(さんば)川の流域を占める。中心集落の鬼石は,神流川上流の山地を後背地とする市場町として発達した谷口集落である。庭石として珍重される三波石を産し,石材業,造園業が盛ん。1967年に神流川に下久保ダムがつくられてから三波石の採取量が減り,全国から原石を集め,加工・販売するようになった。山地がほとんどで,コンニャクやシイタケの生産が多い。杉,ヒノキなどの造林も盛んで,山林面積に占める人工林の割合が高い。従来からの製材工場のほか,電気部品や縫製業の工場がある。1960年代後半以降人口減少が続き,過疎地域に指定されている。下久保ダムの建設によってできた神流湖は釣りの名所として知られ,下流に三波石峡がある。
執筆者:千葉 立也
藤岡市北部の旧市。1954年市制。人口6万2480(2005)。神流川と鮎川にはさまれた洪積台地に発達する。開発の歴史は古く,七輿(ななこし)山古墳(史),白石稲荷山古墳(稲荷山古墳)など1200基に近い古墳が散在する。室町時代には上杉氏が鮎川の西岸に平井城を築いたが,1559年(永禄2)廃城,藤岡に有田氏が居城,のち芦田氏が入り近世初期まで続いた。その後,藤岡は中山道の脇街道の宿場町,1・6の日を市日とする市場町として栄え,生糸,絹,土器その他が取引された。現在は古い伝統をもつ藤岡瓦や藤岡絹のほかに,市域北端部の高崎市に近い地区には,輸送機器,金属,機械,電気機器などの近代的工場が立地している。また1980年関越自動車道の藤岡インターチェンジが開設されてからは,国道17号線と254号線を結ぶ交通の要地となった。さらに93年上信越自動車道が開通して関越自動車道との分岐点となって,付近は工業化,住宅地化が進んだ。JR八高線,高崎線が通る。本郷埴輪窯跡(史)があり,付近の土師神社は,埴輪製造の起源説話によって土師氏の祖ともされ,また相撲の始祖ともいわれる野見宿禰をまつる。
執筆者:有末 武夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
群馬県南部にある市。1954年(昭和29)藤岡町と神流(かんな)、小野、美土里(みどり)、美九里(みくり)の4村が合併して市制施行、1955年日野、平井の2村を編入。2006年(平成18)多野(たの)郡鬼石町(おにしまち)を編入。JR八高(はちこう)線が通じ、国道17号、254号、462号、上信越自動車道の藤岡インターチェンジ、関越自動車道と接続する藤岡ジャンクションがあり神流川流域のバス路線の中心である。東西に細長い市域で、西部の4分の3は長瀞(ながとろ)系の御荷鉾山(みかぼやま)など関東山地北縁の地域、東部は神流川、鮎(あゆ)川の複合扇状地性の台地である。旧藤岡町は、中世芦田(あしだ)氏の城下町、近世は信濃(しなの)別路の宿場町、また4、9の日を市日とした繭、生糸、絹などの市場町として栄えた。特色のあるのは地元産の粘土を原料とする藤岡瓦(がわら)の製造で、昔からよく知られている。さらに工業団地が造成されて輸送機械や電気機器も生産される。国指定史跡の七輿山古墳(ななこしやまこふん)などの古墳群や本郷埴輪窯跡(ほんごうはにわかまどあと)があり、人工の灌漑(かんがい)用溜池(ためいけ)の三名湖(さんなこ)は釣りと桜の名所である。国史跡の高山社跡は明治時代に養蚕改良の教育機関高山社を設立した高山長五郎の生家で、2014年に「富岡製糸場と絹産業遺跡群」の構成資産の一つとしてユネスコの世界文化遺産に登録された。面積180.29平方キロメートル、人口6万3261(2020)。
[村木定雄]
『『藤岡市史』全12巻(1989~2000・藤岡市)』
栃木県南端、下都賀郡(しもつがぐん)にあった旧町名(藤岡町(まち))。現在は栃木市の最南部を占める地域。1889年(明治22)町制施行。1906年(明治39)谷中(やなか)村を編入。1955年(昭和30)部屋(へや)、赤麻(あかま)、三鴨(みかも)の3村と合併。2010年(平成22)、大平町(おおひらまち)、都賀町とともに栃木市へ合併。東武鉄道日光線と国道50号が通じ、東北自動車道の佐野藤岡インターチェンジがある。近世は、町の大部分が古河藩(こがはん)領で、渡良瀬(わたらせ)川の河港、市場町として栄えた。洪水防止のため旧谷中村を廃村にして渡良瀬遊水池を造成することに反対した田中正造(しょうぞう)の活動は有名である。米・麦・ナスやニラなどの畑作農業が行われる。工業は縫製工場と機械・電気関係の中小工場が立地している。遊水池のヨシ・スゲを利用した農閑期の葭(よしず)編みや菅笠(すげがさ)の特産品もある。部屋地区には、大雨で河川が氾濫(はんらん)することが多かったため水塚(みつか)とよばれる土台の高い蔵が残っている。遊水池西岸の藤岡貝塚は関東平野最北部に位置する。
[村上雅康]
『『藤岡町史』(1975・藤岡町)』▽『『藤岡町史』全10巻(1999~ ・藤岡町)』
愛知県中北部、西加茂郡(にしかもぐん)にあった旧町名(藤岡町(ちょう))。現在は豊田(とよた)市の北西部を占める一地区。矢作(やはぎ)川右岸、猿投(さなげ)山東麓(ろく)に位置する。旧藤岡町は1978年(昭和53)町制施行。2005年(平成17)豊田市に編入。国道419号、東海環状自動車道が南北に、猿投グリーンロードが東西に通じている。藤岡面とよばれる丘陵性山地には花崗(かこう)岩の風化土が堆積(たいせき)し、粘土、珪砂(けいさ)の特産地になっている。農業はハクサイなど野菜栽培と畜産が行われているが、最近は豊田内陸工業地帯の一環として工場化も進んでいる。愛知県緑化センターがある。
[伊藤郷平]
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…上州から武州にかけての山地地域では,織物生産がさかんになると,これまで各種の商品を取引していた市が,織物を主要な商品とするように変わっていった。元禄ころは諸種の商品が取引されていた上州藤岡の市も,近世後期には関東生絹の代表的集荷市となった。1742年(寛保2)に設立された甲州上野原の市は,商品ごとに分かれた11の座で構成されていたが,設立後間もなく,絹・紬を主要な商品とするようになった。…
※「藤岡」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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