長与焼古窯跡(読み)ながよやきこようせき

日本歴史地名大系 「長与焼古窯跡」の解説

長与焼古窯跡
ながよやきこようせき

[現在地名]長与町嬉里郷 田尾

江戸時代の陶磁器窯の跡。寛文七年(一六六七)浅井角左衛門(鯨組頭領二代目、深沢儀太夫勝幸)・尾道吉右衛門・尾道長左衛門・山田源右衛門によって開窯されたが中絶、正徳二年(一七一二)波佐見はさみ稗木場ひえこば(現波佐見町)の陶工太郎兵衛が再興し、文政三年(一八二〇)に閉窯。弘化二年(一八四五)長与村の渡辺作兵衛が小規模ながら窯を開いたが、安政六年(一八五九)廃している(「大村郷村記」など)。窯の遺構および物原は第二期のもので、昭和四八年(一九七三)・平成五年(一九九三)に発掘調査。燃焼室は幅八メートル弱、奥行四―五メートルで、階段状に約一〇〇メートルにも連なる規模となっている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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