長久手村(読み)ながくてむら

日本歴史地名大系 「長久手村」の解説

長久手村
ながくてむら

[現在地名]長久手町長湫ながくて

北は春日井郡大森おおもり(現名古屋市)、東北は岩作やざこ村、西は藤森ふじもり上社かみやしろ高針たかばり(現名古屋市)三村、南は岩崎いわさき(現日進町)に隣接。香流かなれ川は支流鴨田かもた川と平行して村境を西に流れる。東北部と南部には標高八〇メートル前後の丘陵が連なり、中央部にも起伏が多く水田は谷あいに細長く形成された。「寛文覚書」に一六の雨池が記載され、「公儀より修覆」とある。

村名は長湫とも書き、「府志」に「国俗謂卑湿之地、為久手」とあり、その地形に由来すると思われる。景行天皇けいこうてんのう社の棟札に承和四年(八三七)の文字が判読でき、南部丘陵一帯に平安・鎌倉期のものと推定される古窯跡が散在している。織田信雄分限帳に「七拾貫文 長くての郷内 吉田助十郎」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報