長城跡(読み)ながとろじようあと

日本歴史地名大系 「長城跡」の解説

城跡
ながとろじようあと

[現在地名]東根市長瀞

標高九〇メートルのみだれ川扇状地末端部に築造された方形輪郭式の中世から近世初期の城跡で、かりがね城ともいう。二重に水堀・土塁をめぐらす。本丸は一町四方程度の規模であったが、堀は失われ、二の丸の堀が原形をとどめて残る。この水堀は農業用水としても重用された。四の丸まであったと伝えるが、明確な遺構は確認できない。建長年間(一二四九―五六)西根氏が築城したという。最上家系図(宝幢寺本)の四代満家の項に「長瀞殿、修理大夫、嘉吉三年三月廿三日逝去、羽州村山郡最上長瀞禅会寺へ葬(中略)満直之長男也」とあり、最上天童東根氏系譜(菊地蛮岳氏旧蔵文書)によると、満家は応永二三年(一四一六)家を継ぎ、同三一年隠退、同年長瀞城を築いてここに移り、長瀞殿と称したと記す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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