長徳寺村(読み)ちようとくじむら

日本歴史地名大系 「長徳寺村」の解説

長徳寺村
ちようとくじむら

[現在地名]新湊市港町(みなとまち)・本町(ほんまち)一―二丁目・西新湊(にししんみなと)・善光寺(ぜんこうじ)

放生津(ほうじようづ)町の西に位置し、南方に展開。西内(にしうち)川を境として南北に分れる。西は三(さん)ヶ新(しん)村、南は下牧野(しもまきの)村(現高岡市)、南長徳寺の東は放生津新町。村名は奈良西大寺末の長徳寺に由来。同寺は明徳二年(一三九一)九月二八日の西大寺諸国末寺帳(西大寺二聖院文書)に大慈(だいじ)院とみえ、「今ハ号長徳寺」と注記されている。大慈院は曾禰の禅興(そねのぜんこう)寺の尼坊であったといい、長徳寺と改称後、長享(一四八七―八九)頃まで存続し、寺地は南長徳寺にあったといわれる。また放生津紺屋(こんや)町の大楽(だいらく)寺はもと長徳寺と称したという。

正保郷帳では高八〇石余、田方二町七反余・畑方二町六反。寛文一〇年(一六七〇)の村御印では草高一七七石、免三ツ七歩。同二年の新田高二石。小物成は川役二匁(三箇国高物成帳)。所属組は三日曾根(みつかそね)村と同じ。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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