長慶明神陵(読み)ちようけいみようじんりよう

日本歴史地名大系 「長慶明神陵」の解説

長慶明神陵
ちようけいみようじんりよう

[現在地名]久万町直瀬

上直瀬の明神駄場(かみなおせのみようじんだば)の小高い丘(坐敷山)に「長慶明神陵」と刻んだ苔むした墓石があり、長慶天皇(在位一三六八―八三)の伝承が残っている。

北朝軍に追われた長慶天皇は女人の姿で楠木次郎左衛門らに守られ白猪峠(しろいのとう)(一二〇一・一メートル)を越えて段の地主(だんのじぬし)に住んだが、やがて北朝軍に攻められ剣(つるぎ)岳で敗れた。七月一四日に明神駄場の裾の直瀬川に気品ある白衣の遺骸が浮んだので村人は手厚く坐敷(さじき)山に葬ったという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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