日本歴史地名大系 「長慶村」の解説 長慶村ちようけいむら 兵庫県:加古川市旧印南郡地区長慶村[現在地名]加古川市西神吉町鼎(にしかんきちようかなえ)下富木(しもとみき)村の南西、法華山谷(ほつけさんたに)川中流東岸の低地に位置する。近世初期に下富木村より分村した(元禄郷帳)。天正六年(一五七八)の神吉城落城の時に遁走した百姓が来住し、慶長年間(一五九六―一六一五)に姫路藩主が年号を逆にして長慶村と名付けたという(増訂印南郡誌)。貞享元年(一六八四)の本多忠国領知目録(本多家文書)に村名がみえる。元禄郷帳では高九〇石余。明和九年(一七七二)の村明細帳控(船津家文書)では田九町四反余・分米一〇四石余、畑六反余・分米三石余、新田畑一反余・分米一石余、小物成は犬米・草藁銀、人数九五(うち作間商人の塩売一)、鴎(かもめ)池・鴎下(かもめしも)池、薬師堂・郷蔵がある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by