横大路村(読み)よこおおじむら

日本歴史地名大系 「横大路村」の解説

横大路村
よこおおじむら

[現在地名]伏見区横大路〈一本木いつぽんぎかきもと町・かみはま町・きたくち町・貴船きぶね草津くさつ町・くろうちくわもと芝生しばふしもつぼ菅本すがもと朱雀すじやく千両松せんりようまつ町・たついけ天王後てんのうごう天王前てんのうまえなかしま町・なかしよう町・長畑ながはた町・橋本はしもと畑中はたなか町・八反田はつたんだ東裏ひがしうら町・前川まえがわ町・松林まつばやし向ヒむかい六反畑ろくたんはた

北は下鳥羽しもとば村、東は下三栖しもみす村、南は向島むかいじま村、西は桂川を介して鴨川かもがわ村・志水しみず村・古川ふるかわ村及び富森とみのもり村に接す。村の南部を宇治川が流れる。

当地について「出来斎京土産」は「横大路あるひは横小路よこをちといふ。世にあやまりて、よこうちといへり。下鳥羽の南にあり。在家おほく立ならべり。横大路の北のはしを東のかたへ出る道あり。竹田に出る。もとは鳥羽の離宮の横大路なり」と記し、「山州名跡志」には

<資料は省略されています>

とみえる。


横大路村
よこおおじむら

[現在地名]神埼町大字たけ川寄かわより

日の隈ひのくま山の麓に位置し、村の東を城原じようばる川が南流する。北は城原村である。天明三年(一七八三)の郷村帳には「川寄村」の名で記されており、川附村と記すものもある。

大治元年(一一二六)三月日の櫛田社大宮司職補任状案(櫛田神社文書)に、

<資料は省略されています>

とある。

この地に横大路城跡がある。標高七〇メートルの小高い丘の頂で、周囲に空堀がめぐっており、北方は茶臼隈ちやうすくま山・日の隈山につながっている。「九州治乱記」によると築城は九州探題一色直氏の手により正平八年(一三五三)であるとする。同書はさらに、同一五年正月、菊池武安が筑後を経て肥前に攻め入り、仁比山にいやまに城郭を構えて居城とし、自ら兵を率いて佐賀・小城おぎ・松浦に侵入したことを記している。


横大路村
よこおおじむら

[現在地名]加古川市志方町横大路しかたちようよこおおじ

はら村の南に位置する。北部に善念ぜんねん川、東部に法華山谷ほつけさんたに川が南流する。周防国より大内氏が来住し初め大内おおうち村と称したが、のちに横大内よこおおうち村に改めたと伝えられる(増訂印南郡誌)。唯武次郎家譜(鳥取県立博物館蔵)によると慶長七年(一六〇二)横大路村内四三〇石余などが池田輝政から由井助左衛門に与えられている。慶長国絵図に「横奥」と記されるのが当村と思われる。正保郷帳では田方五八〇石余・畑方二六石余。元禄郷帳では横大内村と記され同高。明和年間(一七六四―七二)のものと推定される村明細帳(船津家文書)によれば人数六八二、池七(峠池・孫太池・岡の池・長池・白水池・種池・蓮池)、ほかに他村との立会池七。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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