日本歴史地名大系 「印南郡」の解説
印南郡
いなみぐん
- 兵庫県:播磨国
- 印南郡
播磨国の郡名。古代から存在し、昭和五四年(一九七九)消滅した。「和名抄」東急本国郡部の読みは「伊奈美」。「万葉集」には「伊奈美」(巻一)、「稲日」(巻三)と両用あり、音通と解し得る。古代から近代まで播磨国の南部に位置し、郡域は東に
〔古代〕
景行天皇の后妃の一人として「古事記」には針間之伊那毘能大郎女、「日本書紀」には播磨稲日大郎姫の名がみえるが、この名は播磨の印南にかかわるものと解して間違いない。印南野が文字どおり印南郡に及んでいたことは、「三代実録」元慶六年(八八二)一二月二一日条に、播磨国賀古郡の野などとともに印南郡今出原、印南野を重ねて禁断にする旨通知されたことでわかる。神亀三年(七二六)一〇月に聖武天皇が播磨国印南野に行幸した際には、「日本紀略」に「印南野邑美頓宮」に至るとあり、「続日本紀」には行宮の側近の明石・賀古二郡の百姓の七〇歳以上に穀を賜うとあるが、印南郡の名が見当らない。印南郡には至らなかったのであろう。
「続日本紀」神護景雲元年(七六七)二月一一日条には、淡路国がしきりに日照りして種稲が乏しいので、播磨国加古・印南等の郡稲四万束を転じて出挙したとあり、同書延暦五年(七八六)四月一六日条の奏上には、印南郡は戸口希少にして田数巨多であるため、今班田にあたり飾磨郡にある摂津四天王寺の水田を移して印南郡に置くとある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報