長持村(読み)ながもちむら

日本歴史地名大系 「長持村」の解説

長持村
ながもちむら

[現在地名]平塚市長持

東境をすず川、中央を金目かなめ川が流れ、東は中原下なかはらしも宿、西は公所ぐぞ村、南は友牛ともうじ村・南原みなみはら村、北は入野いの村に接する。金目川は宝永三年(一七〇六)の川筋掘替えにより村内へ流入し、この際村高七六石四斗余が河川敷となった(風土記稿)。中央を南から北へ伊勢原いせばら道、金目川の堤上を北西曾屋そや道が通る。南の南原村境に秣場がある。文永五年(一二六八)五月三〇日の得川頼有譲状(正木文書)に「さかみの国永用のかう」とみえ、勲功の賞として領有していた同郷が頼有から孫の亀王丸へ譲られている。また年未詳の岩松持国本領注文写(県史三)にも「相模国長持郷」とみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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