日本歴史地名大系 「長正寺町」の解説 長正寺町ちようしようじまち 山口県:豊浦郡豊田町殿敷村長正寺町[現在地名]豊田町大字殿敷 長正司殿敷(とのしき)村のうち木屋(こや)川西側の集落で、南は木屋川の支流普済寺(ふさいじ)川(現山田川)にかかる長正寺橋(現豊浦橋)を境に西市町(にしいちまち)に続く。赤間関(あかまがせき)街道(北道筋)が通り、西市町から市町が続いて発展して町を形成。中世の主要街道であった肥中(ひじゆう)街道も普済寺川沿いに八道(やじ)村へ抜ける。古く長勝(ちようしよう)寺という寺があったらしく(山口県風土誌)、「地下上申」に「長正寺村と申所は往古長正寺と申寺御座候、只今市頭に安部権吉と申者居申所、寺屋敷と申ならわし候、夫已来寺号ヲ村号ニ申ならわしたるよし地下人申伝候、何宗と申儀は申伝無御座候」とある。町の様子を「注進案」は「長正寺町家数五拾一竈之内大家三軒、中二軒、余は小家にて御座候」と記す。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by