長津呂村(読み)ながつろむら

日本歴史地名大系 「長津呂村」の解説

長津呂村
ながつろむら

[現在地名]南伊豆町石廊崎いろうざき

大瀬おおせ村の南西、伊豆半島南端の石廊崎に位置する。長鶴・長津留とも記す(増訂豆州志稿)。鎌倉時代の「閑谷集」に収める歌に「風ふけはいかにこころのうかるらんいろふかさきをまはるあまふね」とあり、石廊崎は風が吹けば通ることも困難と人づてに聞いている。永禄元年(一五五八)一一月一日北条氏が材木を清水から網代あじろ(現熱海市)まで回漕させるための熊野新造船の乗組員のうちに「長津呂」の三人がいた(「北条家朱印状写」長浜大川文書)。江戸時代初期までは大瀬村一村であったと思われ、五八石余が下田御番今村彦兵衛の知行地であった(「今村彦兵衛知行国郡村高覚」菰田家文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む