長淵荘(読み)ながぶちのしょう

改訂新版 世界大百科事典 「長淵荘」の意味・わかりやすい解説

長淵荘 (ながぶちのしょう)

筑前国上座郡(現福岡県朝倉市,旧朝倉町)長淵郷を中心に上座郡への加納によって成立した荘園。田数は不明であるが,郡全体の広がりをもつと思われる。堀河天皇の御願になる京都尊勝寺の荘園。官物だけ国衙に納める国半不輸の公領としての性格が強い。これは天皇の働きかけに呼応した国郡司の協力があったことを物語ろう。荘園年貢,支配構造は不明。1221年(承久3)法勝寺執行の尊長は領家職を順徳天皇皇子道覚親王に譲った。尊長が承久の乱の張本人であったため,乱後,幕府によって没収され関東御領化し,このとき,荘田が固定されたらしい。モンゴル襲来後の恩賞配分地にあてられ,肥前の深堀・竜造寺氏,薩摩の渋谷・武光・国分寺大隅の禰寝(ねじめ)氏ら鎮西御家人に3町から5町程度の地頭職として配分された。しかし,御家人たちの支配はほとんど不知行の状況で,中には博多崇福寺に寄進されたものもあった。その後は不明。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

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