日本歴史地名大系 「長目浦村」の解説 長目浦村ながめうらむら 大分県:津久見市長目浦村[現在地名]津久見市長目(ながめ)堅浦(かたうら)村の西、津久見湾の北西部に突き出した半島東部に位置する。天文二二年(一五五三)九月二〇日の佐賀郷関公領地検帳(早吸日女神社文書)に「津久見にうら三ケ所あり」として「永目・平浦両所 納所あり、中津留伯耆守抱」とあり、戦国時代当地は早吸日女(はやすいひめ)神社(現佐賀関町)領であった。「平浦」は地内広浦(ひろうら)と思われる。文禄(一五九二―九六)の頃、当地の「ひろは江」は大友家の鹿狩場の一つであった(文禄四年一〇月「当家年中作法日記」大友義一文書)。江戸時代は臼杵藩領で、初め津久見村組(慶長一一年惣御高頭御帳)、のち松崎組に属した(「臼杵藩御会所日記」など)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by