長縄村(読み)ながなわむら

日本歴史地名大系 「長縄村」の解説

長縄村
ながなわむら

[現在地名]西尾市長縄町

市の南西に位置し、西を悪水路北浜きたはま川が流れる。堤防近くが盛土されて家屋が建つ。全域が沖積地。長綱とも記す(三河堤)。長縄観音院は、家康の祖父松平清康仮葬の地という。天文四年(一五三五)一二月五日尾張守山もりやま(現名古屋市)陣営で倒れた清康の遺骸を従臣大河内喜平が同家の縁故地の故をもってこの地に仮葬したという。寛政年中(一七八九―一八〇一)清康の墓である五輪石塔が地中から発掘されたことを「三河志」は記す。

近世は西尾藩領。元文元年(一七三六)の石高二七七石一斗余、新田一石六斗余、以後明治まで変わらない。田が非常に多い。田の免七・一、小物成に定納茶代がある(西尾領村々高反歩永引新田記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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