長谷川 重三郎
ハセガワ ジュウザブロウ
昭和期の銀行家 第一勧業銀行相談役。
- 生年
- 明治41(1908)年11月5日
- 没年
- 昭和60(1985)年3月4日
- 出生地
- 東京
- 学歴〔年〕
- 東京帝大経済学部〔昭和7年〕卒
- 経歴
- 実父の渋沢栄一がつくった第一銀行に入り、昭和31年取締役、34年常務、36年専務、37年副頭取を経て、41年頭取に就任。43年から44年にかけて三菱銀行との合併計画を進めたが、当時の第一側の井上薫会長らの反対で挫折、44年相談役に退いた。後任頭取の選考は難航し、結局井上薫会長が復帰。第一銀行は、46年日本勧業銀行と合併し、第一勧業銀行となった。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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長谷川重三郎 はせがわ-じゅうざぶろう
1908-1985 昭和時代の銀行家。
明治41年11月5日生まれ。父渋沢栄一がつくった第一銀行にはいり,昭和41年頭取となる。三菱銀行頭取の田実渉(わたる)との間で合併計画をすすめたが,第一銀行の井上薫会長らの反対で挫折,44年相談役にしりぞいた。昭和60年3月4日死去。76歳。東京出身。東京帝大卒。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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