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渋沢栄一 しぶさわ えいいち

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美術人名辞典の解説

渋沢栄一

実業家・子爵。埼玉県生。幼名は栄二郎、のち栄一、号を青淵。一橋家に仕え、のち幕臣となる。新政府においては大蔵大丞を務める。欧州を巡遊後、実業界の指導的役割を果たし、第一国立銀行をはじめ、我国初の私鉄日本鉄道会社王子製紙等五百余の会社を設立。昭和6(1931)歿、92才。

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デジタル大辞泉の解説

しぶさわ‐えいいち〔しぶさは‐〕【渋沢栄一】

[1840~1931]実業家。埼玉の生まれ。一橋家に仕えて幕臣となり、パリ万国博覧会幕府使節団に加わって渡欧。維新後、大蔵省官吏を経て第一国立銀行を設立。各種の会社の設立に参画し、実業界の指導的役割を果たした。

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百科事典マイペディアの解説

渋沢栄一【しぶさわえいいち】

実業家。武蔵国血洗島の豪農の生れ。倒幕運動に参加したが,のち一橋家に仕え幕臣となる。1867年渡欧し新知識を吸収,維新後帰国し大蔵省に出仕,国立銀行条例制定などに活躍した。(1840-1931)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

渋沢栄一 しぶさわ-えいいち

1840-1931 明治-大正時代の実業家。
天保(てんぽう)11年2月13日生まれ。渋沢敬三の祖父。生家は武蔵(むさし)榛沢(はんざわ)郡(埼玉県)の名主。一橋家につかえ,幕臣となる。慶応3年徳川昭武にしたがって渡欧し,西洋の近代産業や財政制度を見聞。維新後,大蔵省にはいり,財政・金融制度などを立案。明治6年退官後,第一国立銀行のほか,王子製紙,大阪紡績などの設立に関与。引退後は社会事業につくした。昭和6年11月11日死去。92歳。号は青淵。著作に「徳川慶喜公伝」など。
【格言など】正しい道徳の富でなければ,その富を永続することができぬ(「論語と算盤(そろばん)」)

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朝日日本歴史人物事典の解説

渋沢栄一

没年:昭和6.11.11(1931)
生年:天保11.2.13(1840.3.16)
実業界における明治大正期最大の指導者。武蔵国榛沢郡血洗島村(埼玉県深谷市)の名主の長男として生まれ,22歳のとき江戸に出て尊王攘夷運動に参加,横浜の異人館焼き打ちなどを企てたあと,京都で一橋(徳川)慶喜の家臣となる。慶喜が将軍となったとき幕臣となり,慶応3(1867)年慶喜の弟昭武に随行してパリ万博に赴き欧米を見学,帰国後徳川家と共に静岡に移住した。明治2(1969)年新政府に召されて大蔵省に入り,井上馨と共に財政制度確立に努めたが,各省の抵抗にあい,同6年大蔵少輔事務取扱のとき辞職。同年6月第一国立銀行創立に当たり総監役となり,8月開業。8年1月より同行頭取として長く経営に当たった。また7年には王子に抄紙会社(のちの王子製紙)を設立,甥大川平三郎をして技術部門を担当させた。渋沢の自身の事業は以上の2社が主で,財閥といわれるほどの規模には達しなかった。しかしその本領は財界の指導者としての活躍にあった。すなわち9年東京会議所(のちの東京商業会議所)会頭となって長期勤続したのをはじめ,東京・青森を結ぶ日本鉄道会社,最初の本格的紡績企業たる大阪紡績の創立(1881)に当たっては,株主を勧誘し人材を集めて産婆役を務めた。その後,東京ガス,帝国ホテル,北海道炭鉱鉄道,東洋汽船,京釜鉄道など重要企業の創立に当たっては発起人として旗振り役を務め,人びとは渋沢の信用によってそれに参加するようになり,財界の指導者,まとめ役の役割を果たした。「論語とソロバン」を両立させるべきだという持論は有名で『論語講話』の著書もある。明治41年には訪米実業団団長として渡米。大正9(1920)年,積年の功により,子爵を授けられた。

(中村隆英)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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江戸・東京人物辞典の解説

渋沢栄一

1840〜1931(天保11年〜昭和6年)【実業家】設立育成した企業の数は、約500社にも。 日本の資本主義を育てた経済界の巨人。明治・大正の実業家。武蔵国の豪農の家に生まれた。一橋慶喜に仕え、実弟の水戸藩主徳川昭武に随行して仏パリなど欧州を訪問。維新後は明治政府に出仕した。パリで学んだ知識をいかして、新貨条例・国立銀行条例など諸制度改革を行う。日本に株式会社(合本組織)を導入、設立した第一国立銀行を足掛かりに、王子製紙・大阪紡績・東京瓦斯など約500社の設立や商業会議所・銀行集会所の創設に関与、日本資本主義の発達に大いなる貢献をした。「経済道徳合一」を主義とし、一部企業が利益を独占するのを生涯嫌った。

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世界大百科事典 第2版の解説

しぶさわえいいち【渋沢栄一】

1840‐1931(天保11‐昭和6)
実業家。武蔵国榛沢郡血洗島村(現,埼玉県深谷市)の富農の家に生まれ,年少のころから家業に従事した。尊王攘夷論に傾倒し,一時は横浜の外国人居留地の襲撃をも計画した。1864年(元治1)一橋家に仕え,67年(慶応3)慶喜の弟昭武に随行してフランスの万国博使節団に加わり,ヨーロッパ各地を訪問して近代的社会経済の諸制度や産業施設を見聞した。このとき得た知識が,のち政府高官としてまた近代産業の指導者としての教養の基盤となった。

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大辞林 第三版の解説

しぶさわえいいち【渋沢栄一】

1840~1931) 実業家。武蔵榛沢(今の埼玉県)の人。号は青淵せいえん。一橋家に仕え,次いで幕臣となる。維新後大蔵省に出仕。のち第一国立銀行・王子製紙・大阪紡績などを創立,その他諸産業の経営にも関係して渋沢財閥を形成した。教育・社会事業にも尽力。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

渋沢栄一
しぶさわえいいち

[生]天保11(1840).2.13. 武蔵,血洗島
[没]1931.11.11. 東京
明治・大正期の実業家,財界の指導者。生家は村名主で,農業のほか藍玉の商業も営んでいた。栄一は年少の頃から家業に従事したが,のち才幹を認められて一橋慶喜 (のち将軍) に仕え,慶応3 (1867) 年将軍慶喜の弟昭武に随行して渡欧した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

渋沢栄一
しぶさわえいいち
(1840―1931)

近代日本資本主義の指導者。天保(てんぽう)11年2月13日、武蔵国(むさしのくに)榛沢(はんざわ)郡血洗島(ちあらいじま)(埼玉県深谷市)の豪農の家に生まれた。幕末、一時尊王攘夷(じょうい)運動の志士であったが、1864年(元治1)一橋(ひとつばし)家に仕え、慶喜(よしのぶ)が将軍を継ぐとともに幕臣になった。1867年(慶応3)幕府の遣欧使節の一員として渡欧、西欧の近代的産業設備や経済制度を見聞した。1869年(明治2)新政府の招きで大蔵省官吏に登用され、井上馨(いのうえかおる)大蔵大輔(おおくらたいふ)のもとで、重要な貨幣、金融、財政制度の制定と改革に参与した。この間『立会略則(たちあいりゃくそく)』を著して株式会社制度に関する知識の普及に尽力した。1873年退官、同時に第一国立銀行(第一銀行の前身。のち第一勧業銀行を経てみずほ銀行、みずほコーポレート銀行に統合・再編された)を創立して頭取に就任した。以後財界のリーダーとして目覚ましい活躍を示した。王子製紙、大阪紡績、東京海上、日本鉄道などをはじめ創立に関与した会社は枚挙にいとまがない。また東京商法会議所(東京商工会議所の前身)、東京銀行集会所、東京手形交換所などを設立するなど財界の組織化にも精力的に努めた。さらに財界の思想的指導者でもあり、実業家は国家目的に寄与するビジネスマンでなければならない(「経済道徳合一説」)ことを絶えず強調した。1915年(大正4)渋沢同族株式会社を設立し、第一銀行を中核とする渋沢財閥を形成した。翌1916年実業界の第一線から引退し、以後は主として教育、社会、文化事業に力を注いだ。[小早川洋一]
『『渋沢栄一自叙伝』(1937・偉人烈士伝編纂所) ▽土屋喬雄著『日本資本主義の経営史的研究』(1954・みすず書房) ▽渋沢栄一伝記資料編纂室編『渋沢栄一伝記資料』(1955~71・竜門社) ▽森川英正著『渋沢栄一 日本株式会社の創立者』(森川英正編『日本の企業と国家』所収・1976・日本経済新聞社)』

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世界大百科事典内の渋沢栄一の言及

【王子製紙[株]】より

…日本最大の製紙会社。1873年渋沢栄一が三井組,小野組,島田組を勧誘して共同経営の製紙会社を設立したことに始まる。最初は社名を〈抄紙会社〉と称し,資本金15万円。…

【渋沢財閥】より

渋沢栄一・敬三の経営支配下にあった事業群を渋沢財閥とよぶ。渋沢栄一は1873年大蔵省を退官し,第一国立銀行(のちの第一銀行)総監役に就任,ついで75年から1916年まで頭取を務めながら,日本資本主義の指導者かつ財界の世話役として,多数の近代産業企業の設立・育成に関与した。…

【第一銀行[株]】より

…国立銀行条例にもとづき,第一国立銀行として1873年(明治6)7月,資本金244万円余,渋沢栄一総監役(頭取)で設立された日本最初の銀行で,一般銀行業務のほか国立銀行紙幣を発行し官金出納事務取扱いもあわせ営んだ。とくに韓国においては,1909年10月韓国銀行設立まで中央銀行的役割を果たした。…

【田園調布】より

…多摩川に臨み,神奈川県に対する。1889年成立の調布村の一部であったが,大正時代に導入された田園都市運動の一環として,渋沢栄一が1918年に田園都市株式会社を設立,住宅地を造成した際に田園の2字を冠して田園調布とした。現在の東急東横線・目蒲線田園調布駅西口の駅前広場を中心に放射路,環状路を設置し,一区画100~500坪(330~1650m2)の上・下水道完備の高級住宅地として売り出された。…

【富岡製糸場】より

…富岡の地が選ばれたのは優良な原料繭と豊富な水に恵まれていたためといわれる。政府内で立案・実施を担当したのは大蔵省の渋沢栄一と民部省(のち大蔵省)の尾高惇忠であり,尾高は76年まで初代所長をつとめた。尾高は全国から伝習工女を募集しフランス人教婦の下で器械繰糸技術を習得させ,彼女らは帰郷後各地の器械製糸場の発展を支えた。…

【フランス】より

…65年にはメルメ・ド・カションに横浜フランス語学校を開かせ,67年のパリ万国博覧会には幕府に日本館を出させるとともに,将軍慶喜の弟,徳川昭武をフランスに留学させた。この時の随員,渋沢栄一はパリで近代商業を見聞し,のちに日本経済の大立者となった。
[近代]
 明治維新でロッシュの親幕政策は破綻したが,日仏協力の路線は敷かれていた。…

※「渋沢栄一」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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