都市銀行の旧名称。現みずほ銀行、みずほコーポレート銀行。1971年(昭和46)10月、第一銀行と日本勧業銀行の合併で成立。当時わが国で預金量第1位の都市銀行が出現した。第一銀行は、1873年(明治6)に第一国立銀行として設立された日本最初の近代的銀行を前身とし、96年に普通銀行に転換、五大銀行の一つとして活躍した伝統をもつ都市銀行である。日本勧業銀行は1897年に設立された特殊銀行で、第二次世界大戦前の日本の金融市場で不動産金融専門機関として特異な位置を占めていた。戦後の1950年に普通銀行に転換した。両行の合併は1960年代後半から進められてきた金融再編成の実現を目ざす金融効率化行政の第一歩として、また互いの弱点を補うものとして、その効果は多くの注目を集めた。1979年に初めて預金量10兆円銀行を実現し、さらに83年には20兆円を突破した。2000年(平成12)9月、日本興業銀行、富士銀行とともに持株会社「みずほホールディングス」を設立。3行は2002年4月、分割および合併により統合・再編し、みずほ銀行、みずほコーポレート銀行となった。2001年9月末当時、資本金8588億円、預金残高30兆4873億円、譲渡性預金5兆9397億円、貸出残高30兆9771億円。店舗数国内362(出張所、代理店含む)、海外支店・出張所16、従業員数1万4563。
[岡田和喜]
『第一勧業銀行調査部編纂『第一勧業銀行二十年史』(1992・第一勧業銀行)』
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1971年,第一銀行と日本勧業銀行(略称,勧銀)との対等合併により発足した銀行。略称,第一勧銀,一勧。
第一銀行は〈国立銀行条例〉に基づき設立された日本最初の銀行で,1873年(明治6)第一国立銀行として発足した。96年,国立銀行としての営業満期到来に伴い,(株)第一銀行と改称し,私立銀行として営業を継続,以降多数の銀行を合併し業務分野を広げた。1943年には国家の要請により,三井銀行と対等合併し,帝国銀行を新たに設立,最大の普通銀行となったが,48年再び分離し旧名に戻った。
日本勧業銀行は〈日本勧業銀行法〉(1896公布)に基づく特殊銀行(普通銀行・特殊銀行)として,1897年に設立された。その目的は,農工業振興のため長期低利の資金を供給することであった。しかし,1950年の日本勧業銀行法廃止により,普通銀行へ転換した。
1971年10月の合併により,同行は一躍トップ・バンクとなり,規模のメリットを生かし業務を拡大していった。現在,第一勧業銀行系の企業グループ(第一勧銀グループ)として〈三金会〉があり,伊藤忠商事,川崎製鉄,富士通,古河電工,朝日生命など有力企業が参画している。なお,宝くじ発行の受託業務は旧勧銀からそのまま受け継いだ。2000年9月日本興業銀行,富士銀行と共同金融持株会社,みずほホールディングスを設立。02年4月に3行は分割・再編され,みずほ銀行とみずほコーポレート銀行の2行となった。さらに03年1月みずほグループの統括会社,みずほフィナンシャルグループが設立された。
執筆者:古田 英之
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【制度】
宝くじは地方自治体(47都道府県と10指定都市)が自治省の許可を受け発売するが,それ以外の団体や個人が行うことは禁止されている。発売,当せん金支払等の事務は第一勧業銀行が受託して行っている。通常の宝くじの費用の内訳は,当せん金46.2%,自治体の収益金39.8%,手数料7.3%,印刷,宣伝等の経費3.8%,日本宝くじ協会を通じての助成活動2.9%である。…
…勧銀と略称。1971年10月第一銀行と合併して第一勧業銀行(株)となった。銀行分業主義の理念に立つ松方正義は1881年(明治14)に日本銀行設立を建議した際,日本銀行を頂点とする商業金融機関とは別に,大衆の零細貯蓄を扱う貯蓄銀行,農工業のための勧業銀行の必要を説いた。…
※「第一勧業銀行」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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