日本歴史地名大系 「長野保」の解説 長野保ながのほ 石川県:能美郡寺井町長野保現大長野(おおながの)・小長野(こながの)に比定される。在庁板津氏の開発地で、同氏庶流長野氏の名字の地。郡家(ぐんけ)庄に属したと考えられ、新たに開発され成立した長野新保は能美庄に属した。建仁元年(一二〇一)七月二〇日の介某(板津成景か)譲状案(石清水文書)に「西限郡家長野」とみえ、東は能美庄重友(しげとも)保に接していた。承久の乱で長野家景が戦死したため、その父板津(長野)景高は嘉禄二年(一二二六)二月一八日に嫡孫長野(板津)盛景に長野保などを譲っている(「尊卑分脈」、「板津景高譲状案」石清水文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報