門司氏(読み)もじうじ

改訂新版 世界大百科事典 「門司氏」の意味・わかりやすい解説

門司氏 (もじうじ)

〈もんじ〉ともいう。中世,九州の北端にある門司近辺に勢力のあった武家。1244年(寛元2)に御家人藤原親房が門司領6ヵ所を賜ったのに始まるという。もと下総氏を称する。門司関は交通の要所として執権北条氏の所領となり,下総氏はその被官であった。南北朝以降土着化が進み門司氏と称するようになる。伊川,柳,大積,片野,楠原,吉志を門司六ヵ郷といい,門司氏もこの6家に分かれる。南北朝の動乱では,伊川系の親頼が猿喰城に拠り南朝宮方に属し,片野系の親資は門司関城に拠って北朝武家方として戦った。室町時代には豊前に進出した大内氏の配下に入り有力被官として活躍した。一族には大積系の能秀・武員父子のように文芸造詣の深い人物も出た。大内氏滅亡後は周防に渡り,江戸時代には毛利家臣として存続するが,北九州に在地化した者もみられる。吉志系に伝わった門司文書は一時旧満州(現,中国東北部)にあり,引揚げ時の混乱によって行方が心配されていたが,その後,東京に所在していることがわかった。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の門司氏の言及

【門司氏】より

門司関は交通の要所として執権北条氏の所領となり,下総氏はその被官であった。南北朝以降土着化が進み門司氏と称するようになる。伊川,柳,大積,片野,楠原,吉志を門司六ヵ郷といい,門司氏もこの6家に分かれる。…

【門司関】より

…鎌倉幕府滅亡後も下総氏は関を握り,門司を名字とするようになった。門司氏は南北朝後期に豊前守護となった大内氏の被官となり,以後大内氏の九州への橋頭堡の役をはたし,大内氏滅亡後は毛利氏被官として大友氏の進出に対抗した。【木村 忠夫】。…

※「門司氏」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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