日本歴史地名大系 「門沢村」の解説 門沢村かどさわむら 福島県:田村郡船引町門沢村[現在地名]船引町門沢椚山(くぬぎやま)村の南、黒石(くろいし)山北東麓の山地と丘陵に立地。中央を磐城街道が通る。北境を堀越(ほりこし)川が東流。集落は街道沿いや丘陵の縁辺部に散在。応永一一年(一四〇四)頃と推定される田村一族を中心とした国人一揆傘連判断簡(秋田藩家蔵白川文書)に「門沢 沙弥得願」とみえる。後山(うしろやま)に戦国末期に門沢六郎満定のいた双六(そうろく)城(門沢城)跡がある。天正一六年(一五八八)九月一六日伊達政宗は田村仕置ののち米沢に帰るにあたり「門沢・栗出」の両地は田村清顕没後の田村家中騒動で相馬方にくみした大越・小野両氏に対する伊達方の最前線になったので、警固の人数を留置いている(伊達治家記録)。しかし翌一七年六月九日岩城常隆の攻撃を受け、満定は伊達氏の援軍を得て防戦したが双六城は落城した(同書同月一〇日条)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by