日本歴史地名大系 「門真一番下村」の解説 門真一番下村かどまいちばんしもむら 大阪府:門真市門真一番下村[現在地名]門真市一番(いちばん)町・垣内(かきうち)町・御堂(みどう)町・古川(ふるかわ)町・寿(ことぶき)町・深田(ふかだ)町・大倉(おおくら)町・末広(すえひろ)町・速見(はやみ)町・桑才新(くわざいしん)町・東田(ひがしだ)町・柳田(やなぎだ)町門真一番上村の南、古川右岸沿いの南北に細長い平坦地の村。集落は村内のほぼ中央の古川堤防沿いに、対岸の打越(うちこし)村集落と相対する。門真一番村から分離して成立。延宝年間(一六七三―八一)の河内国支配帳には一番下村とあり、高四六八石余。元文二年(一七三七)の河内国高帳では四三八石余。初め幕府領、貞享四年(一六八七)大坂定番遠山頼直(陸奥湯長谷藩)領となり宝永三年(一七〇六)に至る。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by