開善寺跡(読み)かいぜんじあと

日本歴史地名大系 「開善寺跡」の解説

開善寺跡
かいぜんじあと

[現在地名]曾爾村大字伊賀見

若松わかまつ山麓に寺跡があり、大門だいもん長廊下ながろうかなどの地名が残る。もと真言宗で寺伝によれば「川俣村」にあり、開善寺と称したが、元亀二年(一五七一)織田信長のため廃寺となり、同村円満えんまん寺に合併、天正一九年(一五九一)には川俣村も廃合されて衰微したという(「地蔵寺過去帳」地蔵寺蔵)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...

重陽の用語解説を読む