日本歴史地名大系 「川俣村」の解説
川俣村
かわまたむら
標高二〇〇〇メートルを超す
近世はおおむね日光領。寛文六年(一六六六)日光領総検地により、反別は畑・屋敷のみで三一町七反三畝、高七七石余が確定(「検地帳」山口栄文書)、以後の高は変わらない。年貢は定免金納で金八両余、また日光山本坊御殿役所から栗山七ヵ村名主に宛てた覚(百目鬼彦四郎文書)によれば、いつの頃からか不明であるが、年々本坊御殿へ蕎麦一石五斗を上納している。栗山郷一〇ヵ村の一つとして、享保一三年(一七二八)・安永五年(一七七六)・天保一四年(一八四三)の将軍日光社参や法会の節には、日光街道
川俣村
かわまたむら
川俣村
かわまたむら
川俣村
かわまたむら
川俣村
かわまたむら
川俣村
かわまたむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報