日本歴史地名大系 「間伏郷」の解説 間伏郷まぶしごう 長崎県:南松浦郡若松町浦之内村間伏郷[現在地名]若松町間伏郷浦之内(うらのうち)村の南西部に位置し、間伏・原塚(はらづか)・堤(つつみ)・滝河原(たきがわら)・石司(いしづか)・筒(つつ)ノ浦(うら)・鵜(う)ノ瀬(せ)・白浜(しらはま)・南風泊(はえとまり)などがある。光石(ひかるいし)に五輪塔(安山岩質凝灰岩製)が三基分あり、一四世紀後半頃に福井県高浜(たかはま)町日引(ひびき)で製作されたと考えられる。江戸時代は浦之内村のうちと考えられる。寛延二年(一七四九)間伏持の浦に広東からの唐船が漂着(華蛮要言)。安永元年(一七七二)の新地改で浦之内村間伏村として高三石余とある(天保五年福江領高辻郷村帳)。文政元年(一八一八)大村藩領より二二軒の移住があったとされるほか、慶応三年(一八六七)の日之島掛人付居着百姓帳(五島編年史)によれば、間伏持の堤村への居付のうち大村領内の池(いけ)島(現外海町)から三軒、神浦(こうのうら)(現同上)から四軒来住しており、ほかに天野(現未詳)・樫山(かしやま)(現長崎市)・黒崎(くろさき)(現外海町)・池田(現未詳)・彼杵(そのき)(現東彼杵町)や豊後佐伯(さいき)(現大分県佐伯市)・肥後天草(あまくさ)幾久浦(現未詳)から各一軒であったが、その多くはキリシタンであったとされる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報