間地峠
まじだわ
二部から間地川を遡上し、日野町舟場へ越える峠で、標高四七九メートル。東に古峠山(七六六・九メートル)を望む。馬地とも記される。江戸時代には出雲松江藩主の参勤交代路である出雲街道の最初の難所で、伯耆・美作境の四十曲峠、美作の嵐ヶ峠(嵐乢、現岡山県新庄村)とともに三難所とされた。寛文年中(一六六一―七三)二部宿足羽五兵衛、根雨宿(現日野町)恩田市郎左衛門、板井原宿(現同上)矢田貝七左衛門らによって同街道の整備が行われた際、当峠も改修されている(日野郡野史)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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