日本歴史地名大系 「二部宿」の解説
二部宿
にぶしゆく
北流する
郷帳類などには二部村と記されることが多いが、正保国絵図に二部宿とみえる。享保元年(一七一六)の郷村高辻帳にも二部宿と記され、「古ハ二部村」と注される。藩政期の拝領高は三七五石余、本免は六ツ。延享三年(一七四六)の巡見使案内手帳(宇田家文書)によると高四四六石余、家数一〇五(うち支村間地二四)・人数五九七、馬一八・牛二一。天保九年(一八三八)の巡見一件諸事控(西古家文書)では家数一二一・人数四五一、馬二七・牛五一、鑪一に運上銀一二〇匁が課されていた。地内の鑪は当宿の足羽氏や
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報